この通りに出ている看板の何割かは、うちで書いたものです。といっても、そのほとんどは祖父と父の代のもので、私が書いたものは十枚あるかどうか。手書きの看板はもう主流ではありませんし、それを嘆いても仕方がない。ただ、書いてほしいという依頼が年に何件かは必ず来るので、その分だけ道具を残しています。頼んでくる方は、たいてい手書きでなければいけない理由をはっきり持っています。

書体は、その店の話を聞いてから決める

看板を頼まれると、まず店の話を聞きます。何を出すのか、誰に来てほしいのか、何時まで開けるのか。それを聞いてから書体を決める。夜遅くまで開ける店に細い字を使うと、遠くから読めません。読めない看板は、どれだけきれいでも仕事として失敗です。祖父が繰り返し言っていたのはそのことだけでした。字の良し悪しより、どのくらい離れた場所から読ませたいのかを先に決めろ、と何度も言われました。

工房に残る刷毛。使うものは十本ほどに絞っている

父が亡くなってから、工房の道具をだいぶ処分しました。全部残しておきたい気持ちはありましたが、使わない道具を置いておくと、仕事場が博物館みたいになってしまう。今使うものだけを残して、あとは手放しました。残した刷毛は十本ほどです。それで足りることが分かったのは、処分してからでした。父は道具を捨てられない人だったので、これは私が継いでから変えた数少ないことの一つになります。

読めない看板は、どれだけきれいでも仕事としては失敗なんです。

通りの文字は、全体で一つの景色になる

一枚ずつ見れば、どの看板もそれぞれ考えて作られています。ただ、通りとして眺めると、文字の大きさも高さもばらばらで、結局どれも読み取りにくい。誰かが揃えろと言う話ではないと思っています。ただ、隣の店が何を出しているかを見てから自分の看板を決める人が増えれば、通り全体の見え方はずいぶん変わるはずです。自分の看板だけを目立たせようとすると、結局どれも目立たなくなります。