十八で就職して、最初に配属されたのがこの通りの事務所でした。給料日前に必ず行く定食屋があって、そこの主人が私の顔を覚えるまでに三年かかった。三年目にようやく「いつもの」で通じるようになったときは、正直、社会人になったことよりうれしかったです。あの店はもう十年前になくなりました。閉める話は前もって聞いていたのですが、最後の日に行く勇気が出ず、結局あいさつもしないままになってしまいました。
なくなってから、通るようになった
不思議なもので、店があった頃より、なくなってからのほうがその角をよく通っています。今の職場からは少し遠回りになるのですが、朝はわざわざあの交差点で曲がる。跡地には別のビルが建っていて、当時の面影はまったくありません。それでも角を曲がる瞬間だけ、二十代の頃の自分の歩幅を思い出すことがあります。習慣というのは、店より建物より長く残るものなのかもしれないと、この歳になって思うようになりました。
この通りに三十年いて分かったのは、建物はどんどん変わるということです。私が入社した頃の建物で残っているものは、数えるほどしかない。それなのに通り全体の感じはあまり変わっていない気がする。道の幅と、街路樹と、そこを歩く人の速さ。変わらないのはそのあたりで、建物ではないのだろうと思います。逆に言えば、道の幅や木を変えてしまえば、建物がそのまま残っていても別の通りになるのだと思います。
店はなくなっても、通った道は自分のなかに残るものなんですね。
通っているだけの人間にも、言い分がある
私はこの通りに住んでもいないし、店を持ってもいません。ただ三十年通っただけの人間です。それでも、この通りについて何か言う資格が少しくらいはあると思っています。まちの話をするとき、住んでいる人と商売をしている人だけで決まってしまうことが多いのですが、通っているだけの人間の数がいちばん多いはずなので。声を出す機会がないだけで、思っていることがない人はたぶんいません。聞かれないから黙っているだけです。