店の奥に立っていると、通りを歩く人の足元だけが見えます。ガラス戸の下半分に磨りガラスを入れてあるので、顔までは見えない。それでも十八年も同じ場所に立っていると、足音でだいたい分かるようになりました。急いでいる人、決めかねている人、初めて入る人。母も同じことをしていたのだと、継いでから気づきました。店番をしながら手元を見ずに顔だけ上げる瞬間が、母には何度もありました。あれは音を聞いていたのだと、今になってようやく分かります。

母は「売り方」を何も教えなかった

継ぐと決めたとき、母は仕入れ先の一覧を渡しただけで、売り方については何も言いませんでした。当時は不親切だと思ったのですが、今はそれでよかったと思っています。教わった通りにやっていたら、たぶん十年で行き詰まっていた。店は同じでも、通りを歩く人はゆっくり入れ替わっていきますから、こちらも少しずつ変えていくしかないんです。母の代の帳簿を見ると、いま並べていない商品ばかりが並んでいます。母もそうやって少しずつ変えてきたのだと思います。

便箋の棚は入口からいちばん遠い場所に置いている

便箋の棚をわざと入口から遠くしたのは、五年前です。すぐ手に取れる場所にあると、みなさん一分もかけずに選んで帰ってしまう。奥まで歩いてもらうと、なぜか十分は迷ってくださる。その十分のあいだに、誰に何を書くのか、少しだけ話してくださる方もいます。私はその話を聞くのが好きで、この仕事を続けているようなところがあります。就職して家を出る娘に、と便箋を選んでいかれた方のことは、三年たった今も覚えています。

早く買えることが便利なら、迷える場所は不便でいいと思っています。

この通りには、まだ迷う余地がある

広小路通は、大きな通りのわりに歩く速度がばらばらです。乗り換えのために急ぐ人と、目的もなく歩いている人が同じ歩道にいる。その混ざり具合が、この場所のいいところだと思っています。全員が急いでいる通りだったら、うちのような店はとっくに閉めていました。歩く速度が落ちる場所を、この通りにもう少し増やしたいんです。速く歩ける通りをつくるのは行政の仕事かもしれませんが、遅く歩ける場所をつくるのは、たぶん店の側の仕事です。