生まれたときから二十歳まで、この通り沿いの建物に住んでいました。両親が下で商売をしていて、上が住まいという、当時はよくある形です。学校から帰ると、まず店に顔を出してから階段を上がる。同級生の家とはずいぶん違うと気づいたのは、中学に入ってからでした。友達を家に呼ぶと、必ず店を通ることになる。それが恥ずかしい時期もありましたし、自慢だった時期もありました。

通りが遊び場だった時期がある

小学生の頃は、通り沿いの店の人がみんな顔見知りでした。どこかで転んでも、必ず誰かが見ていて手当てしてくれる。今から思えば、通り全体が見守られている状態だったのだと思います。あの感覚を、今この通りを歩く子どもが持てているかというと、たぶん違うでしょう。見守る側の店が減ったというより、店の人と道を歩く人が知り合いでなくなった、ということなのだと思います。

かつて住んでいた建物の跡地

建物は十五年前に取り壊されました。両親が商売をやめたのと同じ時期です。今は別のビルが建っていて、一階には知らない店が入っている。それでも月に一度は前を通ります。悲しいわけではなくて、確認しに行っている感じに近い。無くなったものを確認しに行く、というのは変な習慣かもしれません。ただ、行かなくなったら本当に無くなってしまう気がして、それで続けているところがあります。

住んでいた場所がなくなっても、通りは残っているんですよね。

住んでいた人の話が、どこにも残っていない

この通りの記録は、建物や商売の話ばかりです。そこに住んでいた人の暮らしの話は、ほとんど残っていません。何時に起きて、どこで買い物をして、どの道を通って学校に行ったか。そういう細かいことこそ、聞ける人がいるうちに聞いておかないと、誰にも分からなくなってしまうと思っています。私の親の世代は、もう聞ける時間がそれほど長くありません。それが最近いちばん気になっていることです。